役に立つ!時事問題解説④イギリスのEU離脱問題について

中学受験において、短時間で大きな得点差をつけられるといわれている分野の1つが時事問題です。
今回は、その中でも2019年に大きな動きがあり、世界情勢の問題と切っても切り離せないイギリスのEU離脱問題について、詳しく解説していきます。
特にイギリスのEU離脱問題は、社会の問題と関連付けて出題されやすい時事問題です
短時間で得点に結びつくように解説しますので、ここでしっかりとポイントを押さえておきましょう!

イギリスのEU離脱問題とは

2016年6月に行われた国民投票でEUからの離脱を決めたイギリスですが、すんなり離脱できたわけではありません。
2016年の国民投票を行うことを決めたキャメロン首相の後、EUとの交渉を行ってきたメイ首相を経て、2019年12月に行われた国民総選挙で3人目のジョンソン首相が率いる保守党が圧勝したことによって、ようやく2020年1月末に秩序あるEU離脱が確実となっています。
このイギリスがEUを離脱する一連の問題をイギリスのEU離脱問題と呼び、イギリスを表す“British”と退出という意味の“exit”を組み合わせた“Brexit”という造語も作られました
離脱を決めた国民投票から実際の離脱まで3年半以上という長い時間が必要だった背景には、EUの成り立ちや問題点、イギリスの抱える問題など、様々な事柄が複雑に絡み合っていることが原因なのです。

そもそもEUとは

EUの発足は1993年ですが、EUのもとになる国際組織が作られたのは1951年です。
ヨーロッパは古くから多くの国に分かれ、領土拡大などの理由で多くの戦争が繰り返されてきた歴史があります。
特にフランスとドイツの国境付近は、戦争で必要な武器を作るために欠かせない石炭や鉄鉱石などをめぐり、争いが絶えませんでした。
とりわけ1945年の終結した第2次世界大戦では、ヨーロッパの広い範囲が戦場となり、国力が低下し、大きな経済損失をもたらしました。
こうした戦争に対する反省から将来の戦争を回避するため、石炭と鉄鉱石を管理する国際組織として1951年に設立されたのがECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)で、加盟国はドイツ、フランス、イタリア、ベルギー、ルクセンブルク、オランダの6か国でした
第2次世界大戦の戦勝国であったイギリスは、自国の産業において不利になると考え、この時点では参加しませんでした。

平和への願いを込めて設立されたECSCは、同じ6か国間での経済全般の協力体制を目指したECCなどと統合され、1967年に関税や共同市場だけでなく、より広い分野での協力体制となるECへと進化していきます。
そして1993年に誕生した現在のEUは年々加盟国も増加し、現在ではイギリスを含め28か国が加盟する世界に類を見ない大きな共同体となりました。

EUでは、EU内で共通な通貨であるユーロを導入し、パスポートのチェックをしなくても人々が自由に移動できるようになりました。
また、EU内での輸出入についても制限をなくし、加盟国は独立した国家でありながら大きな共同体の一員であるという体制が作られていきました。

EUに対するイギリスの不満の高まり

EUのもとになったECSCやEECに参加していなかったイギリスですが、国内経済の不振やオイルショックなどの要因で1973年にECに加盟します。

しかし、もともと大陸と離れた場所にあったこと、加盟の理由が自国の経済的な動機であったことなどから、他の国よりもEUに対しては最初から一定の距離を保っていました
EUの共通の通貨であるユーロを導入しなかったことにも、その姿勢が表れています。

ところが、経済を含め多くの面で加盟国の結びつきを強めるEUには、多くのルールが存在していて、加盟した以上はイギリスもそのルールに従わなければなりません。
また、EUの中でも比較的良い経済状況であったイギリスは、年間1兆円ほどEUの予算を負担してきましたが、このお金はEU全体に対して使われるお金であり、イギリス国民には理不尽なものだと不満を抱く人も出てきました。

こうした中で、さらに国民の不満を高めたのはEU内からイギリスに来る移民と、EU外の国との貿易の問題でした

イギリスはEUの中でも1、2を争う経済大国であったため、イギリス内での仕事を求めて経済状態があまりよくない東ヨーロッパなどから多くの移民が押し寄せました
特に、2012年頃からイギリスではEU内から入ってくる移民が増加し、その数は年間20万人にも及びました。
しかし、EU内では人の移動の自由が認められているため、入ってくる移民をイギリスが独断で拒むことはできません。
中でも多くの移民が入ってきた地方では、こうした移民に対する不満が高まっていきました。

また、EU外の国との貿易においてイギリス独自に貿易交渉をすることができないことも、大きな不満となっていきます
EUとしての貿易交渉では、イギリスが得意な産業や守りたい産業に配慮した貿易交渉ができません。

こうした中で、国内の経済成長の指針となるGDP(国内総生産)が世界第5位の経済大国であるイギリス国内では、EUという枠組みがなくても自分たちの力だけでやっていける、むしろ自分たちだけの方がイギリスの国益に沿った政策や貿易ができる、という意識が高まっていきました

2016年の国民投票

2016年当時、イギリスの首相を務めていたキャメロン首相は、EU残留派でした。
自分が属している保守派にEUへの不満を持つ人が多く、党内の意見の統一や政権運営に難しさを感じていたキャメロン首相は、国民投票で国民の意見をはっきりさせ、EUに対する不満を抑え込もうと考えました。
つまり、キャメロン首相は国民投票でEU残留派が勝利すると想定していたのです。
こうして行われた2016年6月の国民投票は、EUへの残留を支持する人が48.11%、EUからの離脱を支持する人が51.89%と、わずかの差でキャメロン首相の想定外の結果となってしまったのです。
この国民投票により、イギリスのEU離脱が決定しました。

離脱決定までの混乱

国民投票でEU離脱を決めたイギリスでしたが、EUを離脱するまでに超えなければならないハードルは数多くありました。
その中で最も大きな問題は、北アイルランドとアイルランドの間の国境問題でした。
イギリスはグレートブリテン島とアイルランド島の北部に位置する北アイルランドを領土としています。
もともとイギリスの統治下にあったアイルランドは独立を果たし、現在はEUに加盟しています
今までは、イギリスもアイルランドもEU加盟国だったため、国境を超えて人や物が行き来することに何の問題もありませんでした。
しかし、イギリスがEUを離脱すると、1つの島の中で人や物の行き来が今までのように自由にできなくなってしまいます。
特に、北アイルランドでは1960年代以降、北アイルランド紛争が起き多くの犠牲者が出ました。
この紛争の和平の条件は、アイルランド島内にあるアイルランドと北アイルランドとの国境の自由を保障することでした。
“国境の自由は絶対に守らなければならないが、EUからの離脱によって国境を超えた人と物の移動についてはチェックしなければならない”という矛盾に、イギリスは苦しむことになりました。

また、EUとの間で離脱協定案を取り付けたメイ首相でしたが、イギリス議会において離脱協定案を拒否され、離脱への道筋をつけられないまま辞任することになってしまいます。
そして、メイ首相の後に登場したジョンソン首相は、離脱を掲げて行った2019年12月の総選挙で圧勝し、2020年1月末でのイギリスのEU離脱が確実となりました。

しかし、解決されていない多くの問題は依然として残されたままになっていて、今後のEUとイギリスの交渉を国際社会は注目しています

まとめ

2019年12月に大きな転機を迎えたイギリスのEU離脱問題は、国民投票から3年半以上たってようやく離脱が確実となりました。
この問題は、ヨーロッパ全体の歴史も含めた根深い問題であり、ヨーロッパの地理などと関連付けての出題が予想されますから、関連のある分野も含めてポイントをしっかり押さえておきましょう。

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