2020年中学入試 周年問題を予想する ―その2―
1920年(大正9年―100年前) 国際連盟成立
国際連盟成立
国際連盟設立のプランは第一次世界大戦中の1918年1月、アメリカ大統領・ウッドロウ=ウィルソンが発表した『十四か条の平和原則(平和のための十四か条)』にさかのぼります。
この原則は終戦後の1919年1月から開かれたパリ講和会議の重要議題となり、国際連盟の設立もここで決定されました。
正式な発足日は1920年1月20日で、本部の所在地はスイスのジュネーブです。
1946年、前年設立された国際連合へと発展的解消され、その使命を終えました。
発足時の加盟国は42か国で、中心的役割を果たす常任理事国はイギリス、フランス、日本、イタリアの4か国でした。
日本人の新渡戸稲造(写真)が事務局次長に選ばれたのはこのときのことです。
その後、1926年にドイツ(当時の名は「ワイマール共和国」)、1934年にソビエト連邦が加盟し、同時に常任理事国になりました。
しかし、当時世界のリーダーとなりつつあったアメリカはモンロー主義(アメリカはヨーロッパのいざこざには関わるべきでないという考え方)色の強い上院の反対で最初から最後まで不参加(言い出しっぺなのに…)、軍国主義を強めつつあった日本とドイツは1933年に脱退、イタリアも1937年に脱退するなど、組織は安定性を欠くものでした。
※日本は満州事変と満州国の建国、ドイツはヒトラーによるナチス政権誕生、イタリアはムッソリーニによるエチオピア侵攻が脱退の引き金になりました。
※あまり知られていませんが、新渡戸稲造の後任を務めたのは同じ日本人の杉村陽太郎です。杉村は幻に終わった1940年東京オリンピックの招致活動にも力を尽くしました。
国際連盟が第二次世界大戦を防止できなかった理由としてよく挙げられるのは次の2点です。これらについては異論がないわけでもないのですが、中学入試の定番として覚えておきましょう。
- 最高決定機関である総会の議決において「全会一致制」を採っていたため、意思決定が難しかった。
- 「国連軍」を組織することができず、武力制裁という手段がなかったためになかったため紛争の強制的解決ができなかった。
国際連盟から現在の国際連合に引き継がれた機関としては、国際司法裁判所(ICJ/本部はオランダのハーグ)・国際労働機関(ILO)があります。
また、現在の世界保健機関(WHO)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、国連教育科学文化機関(UNESCO/本部はフランスのパリ)の前身となる機関も連盟時代に設けられていました。
ILO、WHO、UNHCRの本部がスイスのジュネーブにあるのはその名残です。
1970年(昭和45年―50年前) 大阪で万国博覧会開催
アジア最初の国際博覧会として1970年3月から半年にわたって大阪で開かれた「日本万国博覧会」は、1964年の東京オリンピックと並び、高度経済成長時代の象徴としていまだに多くの人々の記憶に残っている一大イベントでした。
「人類の進歩と調和」をテーマに掲げ、参加国は77か国、総入場者は6400万人、会場は大阪府吹田(すいた)市の千里(せんり)丘陵でした。
現在は実用化されている動く歩道、モノレール、リニアモーターカー、電気自動車、携帯電話などが初めて人々に紹介され、展示物ではアメリカの月探査船・アポロ12号の持ち帰った「月の石」が人気を集めました。
1 日本の万博初参加
日本が初めて参加した万博は1867年のパリ万国博覧会です。
江戸幕府の他に薩摩藩、佐賀藩が出展していますが、すでに討幕の方針を固めていた薩摩藩は独自に「日本薩摩琉球太守政府」を名乗って別に展示を行いました。
幕府は将軍徳川慶喜の名代として弟の徳川昭武を派遣し、その随行員の1人には、のちに「日本近代資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一(2024年から新1万円札の顔となることが決まっています)がいました。
2 日本で開かれた他の万博と開催地
1975年 | 沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)…沖縄県本部(もとぶ)町 |
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1985年 | 国際科学技術博覧会(筑波科学博/つくば万博)…茨城県つくば市(筑波研究学園都市) |
1990年 | 国際花と緑の博覧会(花の万博)…大阪府鶴見区・守口市(鶴見緑地) ※上記3つの博覧会はいずれも国際博覧会条約による「認定博(特別博)」です。 ※1940年、東京で「紀元2600年記念日本万国博覧会」が企画されていたが、日中戦争激化のために中止している。 |
2005年 | 2005年日本国際博覧会(愛知万博/愛・地球博) 70年大阪万博以来の大規模な「登録博(一般博)でした。愛知県長久手町と豊田市、瀬戸市の2会場で開催されました。 テーマは「自然の叡智(えいち)」です。当初メイン会場に予定されていた瀬戸市の「海上(かいしょ)の森」がオオタカの営巣地であることが分かって会場を移すなど、環境、生態系重視の姿勢が評価されました。 |
2025年の国際博覧会は登録博として再び大阪で開かれることが決定しています(大阪・関西万博)。
現在掲げられているテーマは「いのち輝く未来社会のデザイン」です。