百舌鳥・古市古墳群 世界文化遺産に登録決定

大仙古墳(上)と上石津ミサンザイ古墳

2019年7月、大阪府堺市百舌鳥もず古墳群、隣接する大阪府藤井寺市・羽曳野はびきの古市古墳群が、UNESCO(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に正式登録されました。登録名は「百舌鳥・古市古墳群―古代日本の墳墓群―」です。
この決定により日本国内の世界遺産登録数は23件(文化遺産19、自然遺産4)、世界全体では12位となりました(※下表参照)。

国別世界遺産数
1 イタリア 55
1 中  国 55
3 スペイン 48
・・・・・
12 日  本 23
2019年7月現在 文化遺産、自然遺産、複合遺産の合計

決定理由は以下の通りです。                

  1. ) 規模の大小と多様な墳形により古代の社会政治的な構造が示された世界的にも稀有な物証であること。
  2. ) 1600年にもわたり守られ,現在では市街地にありながらも,高いレベルの法的保護のもとに保存管理された素晴らしい物証であること。
  3. ) 開発圧力に対する住民運動によって保護された古墳が構成資産に含まれているなど,地域社会にも根差した資産であること。

百舌鳥・古市古墳群は4世紀後半~5世紀後半にかけて築造された古墳群です。
今回登録された49基のうち、100m超の大規模古墳は19基あります。それらがすべて前方後円墳であるのに対し、20~100mの中小古墳は円墳、方墳など比較的単純な形状をとっています。
基本的に前者は初期大和政権の中心的人物の墳墓で、後者の多くは彼らに仕えた人物の墓(ばいづか)だと考えられています。

以下に代表的な古墳をいくつか取り上げてみましょう。

百舌鳥古墳群

大山だいせん古墳

大仙陵古墳とも呼ばれます。5世紀前半から半ばにかけての築造と見られます。
被葬者は第16代仁徳天皇に比定されていますが、確実とは言えません。墳丘の長さは525m(従来は486mとされていたが、2018年の調査で修正)、この値は墳墓としては世界一の大きさで、体積についても、現在世界一とされる中国の「始皇帝陵」を超える可能性があるといいます。
墳丘の斜面はふきいしで覆われ墳頂部には円筒埴輪が並べられていたと想像されます。
これだけの建造物を当時の技術で造るには15年8か月の期間とのべ680万人の人出が必要だったという試算も出ています。

大仙古墳は、クフ王のピラミッド(エジプト)秦の始皇帝陵(中国)と並んで「世界三大墳墓」と称される場合があります。

クフ王のピラミッド

上石津ミサンザイ古墳

墳丘長365m、日本で第3位の大きさになります。築造年代は5世紀前半と見られ、被葬者は仁徳天皇の子である第17代履中りちゅう天皇に比定されています。

古市古墳群

誉田こんだ御廟山ごびょうやま古墳

墳丘長425m、日本で第2位の大きさです。築造年代は5世紀前半、被葬者は仁徳天皇の父に当たる第15代おうじん天皇だと考えられています。

これらの古墳の被葬者と考えられている各天皇は、5世紀中国の歴史書「宋書倭国伝」に登場する「倭の五王」と重なる人物なのではないかと考えられています。
最初に使いを送った「倭王・讃」は仁徳天皇ないしは応神天皇に、次の「倭王・珍」は反正天皇(第18代)あるいは仁徳天皇に比定される場合が多いようですが、いずれにしても、巨大な古墳に象徴される強い王権を手に入れた日本の大王おおきみたちが、中国との関係を深め、それを後ろ盾に大陸進出を図ったことは事実でしょう。
ちなみに「倭の五王」のうち、3人目の「済」が第19代允恭天皇に、4人目の「興」が子の安康天皇(第20代)に、そして最後の「武」がその弟・雄略天皇(第21代)に当たることはほぼ確実だと見られています。

雄略天皇が稲荷山古墳(埼玉県行田市)出土の鉄剣にその名を刻まれた「ワカタケル」なる人物と同一視されていることは塾の授業でもしっかり習うところですね。
関連問題の作りやすい時事です。良く注目しておきましょう。